「AI×経済成長時代」の人的資本経営 Vol.7 エンゲージメントを高める「心の資本」(前編)——足りないのは「内なるHERO」だ

アジャイルHR代表、松丘啓司によるコラム。第7回目は、個人の内側の「エネルギー」を高める、心理的資本を構成する4つの力「HERO」について解説します。
外からの刺激だけでは頭打ちになる
エンゲージメントサーベイを導入し、待遇を見直し、制度も拡充した。それなのにスコアは横ばいのまま。多くの日本企業が、同じような壁にぶつかっています。
原因は、施策が「環境整備」や「外部からの刺激」に偏っていることにあります。給与、評価制度、職場環境といった外発的な要因は、整えて初めて不満が減る「衛生要因」ですが、それだけでは、人の内側のエネルギーレベルは高まりません。
先の読めない時代に、自分自身で環境に適応し、主体的に仕事へ関わるためには、個人の内側にある資源(燃料)が欠かせません。その資源が枯渇したまま外から刺激を与えても、エンゲージメントは向上しないのです。
「心理的資本」とは何か
ここで鍵になるのが「心理的資本(心の資本)」という考え方です。
心理的資本は「個人の心の中にある前向きな力の蓄え」を指します。「何を持っているか」「誰を知っているか」ではなく、「どのようなエネルギーを保持しているか」を資本として捉えるのが、この概念の特徴です。ポジティブ心理学の流れから生まれた考え方で、「人の弱みを直す」よりも「人の強みや可能性を伸ばす」ことに焦点を当てています。
心理的資本には重要な特徴があります。それは、生まれつきの性格ではなく、働きかけによって後から伸ばせる「状態」だということです。「うちの社員は元々おとなしいから」「あの人は生まれつき打たれ強い」といった固定的な見方とは違って、環境や経験、働きかけ次第で誰もが育てられる力なのです。
心理的資本は、エンゲージメントを生み出し、支えるエネルギー源に当たります。エンゲージメントは結果として現れる「心理状態」であり、心理的資本はエンゲージメントの源泉になるのです。
心理的資本を構成する4つの力「HERO」
心理的資本は、頭文字をとって「HERO(ヒーロー)」と呼ばれる4つの要素で構成されています。それぞれが、ワークエンゲージメントの各要素(活力・熱意・没頭)と密接に結びついています。
H:Hope(希望)——「道は必ずある」と信じる力」
目標に向かう意志(Willpower)と、そこへ至る道筋を考える力(Waypower)の組み合わせです。単なる願望ではなく、「ひとつの道が塞がれても、別のルートを描ける」ことが重要です。複数の選択肢を持てる人は、行き詰まりによる徒労感に飲み込まれません。その結果、仕事に向かう持続的な「活力」が高まるのです。
E:Efficacy(自己効力感)——「自分ならできる」という確信
特定の場面で、やるべきことをやり遂げられるという自信です。「できそうだ」という手応えが強いほど、人は難しい課題にも自分から踏み込みます。背伸びを恐れない姿勢が、仕事への強い「熱意」(意味づけや誇り)を生みます。
R:Resilience(回復力)——折れても戻ってくる力
逆境や失敗、予期せぬ変化から立ち直る回復力です。「傷つかない強さ」ではなく、「傷ついても戻れるしなやかさ」を指します。高ストレスの環境で心の資源が尽きるのを防ぐ防波堤となり、エンゲージメントが急落する「バーンアウト(燃え尽き)」を食い止めます。
O:Optimism(楽観性)——失敗を引きずらない捉え方
成功は自分の力によるものと受け止め、失敗は「一時的なもの」「特定の状況のせい」と捉える柔軟な認知のことです。根拠のない能天気さとは違い、現実を見たうえで前向きに解釈する姿勢です。一度の失敗で仕事から心が離れてしまうのを防ぎ、持続的な「没頭」を支えます。
この4つは、それぞれ単独で働くだけでなく、互いに支え合います。成功体験が自己効力感を高め、それが希望を広げ、挫折しても回復力が立ち直りを助け、楽観性が前向きな姿勢を維持する。こうして好循環が回り始めることで、心理的資本の相乗効果が発揮されます。
「きつい仕事」が「やりがい」に変わる分かれ道
ワークエンゲージメントの理論モデルである「仕事の要求度・資源モデル(JD-Rモデル)」では、心理的資本は「個人の資源」に位置づけられます。仕事の要求度が高まったとき、心理的資本の高低によって、次のような分かれ道が生じます。
・ 心理的資本が低い場合: プレッシャーや業務量の増加がそのまま疲弊につながり、バーンアウトへ向かいやすくなる
・ 心理的資本が高い場合: 同じ負荷を「挑戦的ストレス」として受け止め、かえって高いエンゲージメントを発揮する
同じ状況でも、心理的資本の差が、熱意と燃え尽きを分けるのです。
これは学術研究でも裏づけられています。ルーサンスらの大規模なメタ分析では、心理的資本は従業員のパフォーマンスや組織コミットメントと有意な正の相関を示し、離職意図やストレスとは負の相関を示すことが報告されています。
心理的資本は「鍛えられる」
心理的資本は後天的に開発できる「心のエネルギーの状態」です。一方で、エンゲージメントのスコアは、結果としての「心理状態」の数値です。数値を眺めているだけで、エンゲージメントは上がりません。内発的な資源を日々の仕事のなかで蓄えていくこと。それが、環境の変化に揺るがない組織をつくり、企業の飛躍的な成長を支える上で不可欠となります。
後半では、1on1の場において部下のHEROを高める方法について解説します。